これまで、数多くの葬儀に参列してきましたが、そのほとんどでいただく引き出物は、お茶や海苔、あるいはカタログギフトといった、定番の品々でした。もちろん、その一つ一つにご遺族の感謝の気持ちが込められていることは承知していますし、ありがたく頂戴してきました。しかし、たった一度だけ、私の心に深く、そして温かく刻まれている、忘れられない引き出物があります。それは、大学時代の恩師の葬儀でのことでした。先生は、生粋のコーヒー好きで、研究室はいつも、彼が自ら豆を挽いて淹れた、豊かなコーヒーの香りで満たされていました。私たち学生にも、「まあ、一杯飲んでいけ」と、気さくにコーヒーを振る舞ってくれるのが常でした。そんな先生の葬儀の帰り際に渡された引き出物の紙袋は、ずっしりと重く、そして、開ける前から、ふわりと懐かしい香りが漂ってきました。中に入っていたのは、一冊の小さな写真集と、一袋のコーヒー豆でした。写真集には、先生の若き日の姿から、私たち教え子たちと笑い合う晩年の姿まで、その生涯を物語るスナップショットが、短いキャプションと共に収められていました。そして、コーヒー豆の袋には、先生の奥様の直筆で、「主人が生前、こよなく愛しておりました〇〇珈琲店のブレンドです。皆様の心にも、主人の香りが少しでも長く留まりますように」と、小さなカードが添えられていました。私は、その引き出物を持ち帰り、まるで大切な儀式のように、丁寧に豆を挽き、ゆっくりとコーヒーを淹れました。立ち上る香りと共に、先生との思い出が、次から次へと鮮やかに蘇ってきます。コーヒーを一口飲むたびに、先生の「大丈夫、君ならできるよ」という、あの優しい声が聞こえてくるような気がしました。あの引き出物は、単なる品物ではありませんでした。それは、先生の人生そのものであり、残された私たちへの、最後のメッセージでした。ご遺族は、きっと、数ある品物の中から、どれが一番先生らしく、そして先生の心が伝わるかを、一生懸命考えてくださったのでしょう。その深い愛情に、私は胸が熱くなりました。葬儀の引き出物は、必ずしも高価なものである必要はない。故人の人柄が偲ばれる、心からの「ありがとう」が伝わるものであれば、それは何物にも代えがたい、最高の贈り物になるのだと、私は先生のコーヒーから教わったのです。