社会人になって数年が経った頃、学生時代に大変お世話になったゼミの恩師が亡くなった、という知らせが友人から届きました。知らせを受けたのは、海外出張の直前。どうしても通夜にも告別式にも参列することができませんでした。しかし、先生への感謝の気持ちを、何とかして形にしたい。そう考えた私は、初めて「現金書留」で香典を送ることにしました。正直なところ、最初は「お金を送るだけなら簡単だ」と、少し安易に考えていました。しかし、いざ準備を始めると、その作法の奥深さに、私は戸惑うことになりました。まず、不祝儀袋の表書き。「御霊前」で良いのか、「御仏前」なのか。先生の宗派なんて知らない。インターネットで必死に調べ、「御香典」なら間違いない、という知識を得ました。次に、中袋に書く金額。これも「一万円」と書くのではなく、「壱萬圓」という大字を使うのが正式だと知り、慣れない文字を丁寧に書き写しました。そして、最も私の心を悩ませたのが、同封する「お悔やみ状」でした。どんな言葉を選べば、私の悲しみと、参列できない申し訳なさが伝わるだろうか。何度も書き直し、ようやく一枚の便箋に想いを綴りました。翌日、郵便局の窓口で現金書留の手続きをしながら、私は不思議な気持ちになっていました。ただの送金手続きのはずなのに、そこには、まるで葬儀に参列しているかのような、厳粛な緊張感がありました。不祝儀袋を選び、文字を書き、言葉を紡ぐ。その一つ一つの丁寧な手作業が、私の心を、先生への弔いへと向かわせてくれたのです。後日、先生の奥様から、丁寧な礼状が届きました。そこには、「お手紙、何度も読み返しました。あの子(先生)も、あなたの気持ちをきっと喜んでいると思います」と書かれていました。その一文を読んだ時、私の目から涙が溢れました。現金書留は、単なる現金を送るシステムではありませんでした。それは、距離や時間の制約を超えて、人と人との心を繋ぐための、日本人が育んできた美しい文化なのだと、私はこの経験を通して、身をもって知りました。