私が初めて一人で葬儀に参列したのは、社会人二年目の冬、学生時代にお世話になったゼミの教授の奥様が亡くなられた時でした。訃報は突然で、通夜はその日の夕方。私は会社を早退し、慌てて自宅へ戻りました。喪服や黒い靴は準備してありましたが、肝心の黒いタイツが見当たりません。クローゼットの引き出しをひっくり返しても、出てくるのは普段使いのカラフルな靴下ばかり。焦った私は、家を飛び出し、近所のドラッグストアに駆け込みました。タイツ売り場には様々な種類がありましたが、動揺していた私は「とにかく黒で、暖かそうなものを」と、深く考えずに八十デニールの厚手のタイツを手に取り、レジへと向かいました。斎場に到着し、厳粛な雰囲気の中で、私は自分の足元に強烈な違和感を覚えました。周りの女性参列者の足元を見ると、皆、ほんのりと肌が透ける、上品な薄手の黒ストッキングかタイツを履いています。それに比べて、私の足はまるで黒い毛布に包まれたかのように、のっぺりと真っ黒でした。カジュアルで、どこか野暮ったい。その場にそぐわない自分の選択が、急に恥ずかしくなりました。お焼香の列に並び、前の方の足元と自分の足元を見比べながら、「やってしまった」という後悔の念で、教授への弔いの気持ちに集中することさえできませんでした。幸い、誰かに直接何かを言われることはありませんでした。しかし、ご遺族や他の参列者の方々から、「マナーを知らない、配慮のない教え子だ」と思われたのではないか、という不安が、葬儀の間ずっと私の心に重くのしかかっていました。この経験は、私にとって大きな教訓となりました。葬儀の服装マナーとは、単なるルールではなく、故人とご遺族への敬意と共感を形にするための、大切なコミュニケーションなのだと。それ以来、私は自宅のクローゼットに、弔事用の二十五デニールの黒タイツと、予備を含めた数足を必ず常備するようになりました。あの日の、足元から冷えていくような焦燥感と後悔の念を、私はきっと忘れないでしょう。たかがタイツ、されどタイツ。その一枚が、弔いの心の質を左右することもあるのだと、身をもって学んだ出来事でした。